【6】
いよいよデアルトス国立学院、登校初日となる。天気はあいにくの曇りだった。
当初はワクワクしっぱなしだったリザレリスも、フレデリックに会って以来、やや憂鬱になっていた。彼とリザレリスは同級生となるので、顔を合わせることは避けられない。
「できるだけアイツとは関わりたくねー」
「王女殿下?」
鏡を見ながらのリザレリスのボヤきを、ルイーズは聞き逃さなかった。彼女は王女の荷物と服装をチェックしつつ釘を刺す。
「いいですか。ご学友と触れ合い楽しくなることも多いでしょう。それ自体は素晴らしいことです。しかし貴女は一国の王女です。くれぐれもそのことをお忘れにならないように肝に銘じください」
ルイーズは厳しい母のような目をリザレリスにぶつけた。リザレリスが「は〜い」と気のない返事をすると、ルイーズの眉間に皺が寄る。
「王女殿下!」
「は、はい」
反射的にリザレリスは背筋をピンと伸ばす。
「よろしいですか。王女殿下のご留学は、我が国と〔ウィーンクルム〕との国交関係にとってとても重要なもの
一行はフェリックスが用意した馬車に乗り込んだ。元々は付いていくはずだったルイーズは乗車しなかった。学生だけで気楽に行きたいと、フェリックスが要望したからだ。彼の要望で、王子側の従者も別の馬車に乗ることになった。馬車内は本当に学生だけとなった。「フレデリックはちゃんと案内してくれたかな?」馬車が動き出すなりフェリックスが、向かいに着座したリザレリスに尋ねてきた。リザレリスは隣のエミルと軽く視線を交わしてから、言いづらそうに口をひらく。「まあ、うん」「その様子だと、弟とは今いちだったみたいだね」間髪入れずにフェリックスが言ってきた。予想通りという感じだ。「なんだよ。じゃあ良い感じにはならないことをわかっててアイツを差し向けてきたのかよ」リザレリスはムッとして文句をつける。フェリックスは否定するジェスチャーをした。「そういうわけじゃないよ。君ならあのフレディも打ち解けてくれるかなって思ってね。フレディは君たちとも同級生になるから、仲良くなってくれればよかったんだけど」「あー、ムリムリ。あっちに歩み寄る姿勢がまったくないんだもん。兄弟間でもあんな感じなのか?」「フレディはレイとすごく
【6】いよいよデアルトス国立学院、登校初日となる。天気はあいにくの曇りだった。当初はワクワクしっぱなしだったリザレリスも、フレデリックに会って以来、やや憂鬱になっていた。彼とリザレリスは同級生となるので、顔を合わせることは避けられない。「できるだけアイツとは関わりたくねー」「王女殿下?」鏡を見ながらのリザレリスのボヤきを、ルイーズは聞き逃さなかった。彼女は王女の荷物と服装をチェックしつつ釘を刺す。「いいですか。ご学友と触れ合い楽しくなることも多いでしょう。それ自体は素晴らしいことです。しかし貴女は一国の王女です。くれぐれもそのことをお忘れにならないように肝に銘じください」ルイーズは厳しい母のような目をリザレリスにぶつけた。リザレリスが「は〜い」と気のない返事をすると、ルイーズの眉間に皺が寄る。「王女殿下!」「は、はい」反射的にリザレリスは背筋をピンと伸ばす。「よろしいですか。王女殿下のご留学は、我が国と〔ウィーンクルム〕との国交関係にとってとても重要なもの
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学校案内を終えて理事長室に引き返す道すがらだった。「お前、フェリックス兄とレイ兄とは何度も会ってんだろ?」不意にフレデリックがリザレリスに尋ねた。「何度もっていうか、何度かは会ってるけど?」「じゃあレイ兄の彼女の話は聞いたか?」「は?なんで?聞いてないけど......あっ」「なんか聞いてんのか?」「そういえば〔ブラッドヘルム〕の雑貨屋で、彼女へのプレゼントだなんだって言っていたような......」「マジかよ」急にフレデリックが嘆息する。リザレリスはエミルと顔を見合わせる。「えっ、なに、どうしたの」リザレリスが尋ねると、フレデリックは面白くなさそうな顔をした。「レイ兄。今の彼女と付き合ってから、なーんか微妙なんだよな」「微妙?」「なんかイライラすることが多くなったっていうか」
「失礼します」出ていった教師が戻ってきた。彼は別の者を引き連れていた。見た感じ、歳はエミルと変わらないぐらいの少年を。「リザレリス王女様。こちらは王女様とグレーアム君と同級生となる生徒です」少年はリザレリスたちの前まで来ると、礼儀正しく挨拶する。「私はデアルトス国立学院、特別学科一年のフレデリックです。この度はブラッドヘルム王女と共に本学で学べること、大変光栄に存じます。何卒よろしくお願い申し上げます」フレデリックは、真面目な表情を崩さず凛としていた。ツンツンした赤髪に勝気そうな釣り上がった目。顔立ちは綺麗で美男子だが、背は高くなくエミルと同じぐらいで、どこかヤンチャ少年のような雰囲気があった。なので澄ましきった態度と言動は、リザレリスには少なからず意外な印象を与えた。「それではゆっくり見学していらしてください」理事長に送られ、リザレリスとエミルのふたりは部屋を出た。ルイーズたちは、理事長室に残ってストラヴィン理事長と話があるようだった。「それでは参りましょう」赤髪のフレデリックに率いられ、ふたりは校舎を歩いていく。リザレリスは目を輝かせてキョロキョロと校舎内を見まわしていた。まるで動物園にでもやって来た子供のように。そんな王女をエミルは微笑ましく見守っていた。「ええと......」不意にフレデリックが何かを言いかけて立ち止まった。リザレリスとエミルも立ち止まり、彼の言葉を待った。おもむろにフレデリックはリザレリスの方へ振り向くと、彼女のことをまじまじと見つめ始めた。何やらいぶかしむ目をしている。「な、なに?」リザレリスは作り笑顔を浮かべて訊ねる。「お前とオレ、同級生になるんだよな?」フレデリックが言った。口調と雰囲気がまったく変わっているので、リザレリスは反応に窮してしまう。「えっ、あの」「だーかーら、お前はオレと同級生になるんだろ?」「そ、そうだけど」「だったら兄さんたちは先輩ってわけだ」「えっ??」「それでお前はどっちの先輩狙いなんだ?」フレデリックは疑い深い鋭い視線でリザレリスに詰問する。意味がわからないリザレリスは戸惑うが、エミルが助け舟を出した。「あの、フレデリック様。ひょっとして......」「なんだよ?」「貴方はヴォーン・ラザーフォード家の三男、フレデリック王子ですか?」「だったらなんだよ?」フレデ
【5】午後になり、ブラッドヘルム王女一向はデアルトス国立学院を訪れた。王女であるリザレリス以外には、エミルとルイーズと従者がひとりだけ。少人数での訪問となった。「おおお、ここがデアルトス国立学院か!」足を踏み入れるなり、リザレリスは感嘆の息を洩らした。こんな立派な学校は、前世でも見たことがなかった。広大な敷地。お城のような校舎。いずれも歴史と伝統の重みがあり、なおかつ最先端の学問が学べる洗練さも融合している。世界でも有数の教育機関と言われているだけあった。並の学校とは根本的に違っていた。「優秀な学生にとっては憧れの学校であり、王族や上流貴族にとってデアルトス国立学院の卒業資格は、是非獲得しておきたいステータスでもあるのです」リザレリス一行を出迎えた教師が、彼らを理事長室まで案内しながらそう説明した。「へー、日本で言えば東大的な感じなのかなぁ。海外で言えばハーバードとかオックスフォードとか、そんな感じかなぁ。知らんけど」リザレリスは広い通路を進みながら前世の記憶を思い起こした。まわりの者たちは不思議そうにリザレリスへ視線を向ける。「あっ、いや、なんでもないから」リザレリスは笑って誤魔化しつつ、胸の中ではしっかりと噛み締めた。こんな素晴らしい学
【4】〔ウィーンクルム〕へ移ってきてからの最初の朝は遅かった。昨日の疲れからかリザレリスは中々起きることができなかった。何度も王女を起こしにいこうとするルイーズを食い止めたのはエミルだった。彼のおかげで、リザレリスは目一杯の睡眠を享受した。「あー、今日も遊びに行きてー」自室で遅めの朝食をとりながらリザレリスはボヤいた。ちょうどルイーズが席を外しているタイミングだった。部屋には王女とエミルのふたりだけ。「リザレリス王女殿下。本日は午後にデアルトス国立学院へご挨拶に伺う日ですよ」リザレリスの横に寄り添って立つエミルは、王女のグラスに飲み物を注ぐ。「えー、めんどくせー。登校初日でよくね?」「そういうわけにも参りません。まだ休校中の今日に行っておかねば」「なあエミル」リザレリスは食器を置くと、口元を拭いてエミルを見上げた。 「なんでございましょう」「なんでよそよそしいの?
【3】「陛下。御用件はなんでございましょうか」王宮の広い一室で、フェリックスは国王に向かい畏まった。国王は鎮座したままでフェリックスに顔を向ける。「白々しいな。余が何を言いたいか、わかっているだろう」実の父親であるファンドルス・ヴォーン・ラザーフォードを、フェリックスは改めて見つめる。ウェーブのかかった豊かな金髪と顎髭が、国王の襟元を隠している。だが顔の皺は隠せていない。それは王としての確かな時間と経験を刻んでいた。しかし決して衰えは感じられず、厳かな迫力と漲る活力は溢れんばかりだった。この王と一対一で向かい合って気圧されない者など、この国にはいないだろう。彼を除いては......。「さあ、私には何のことだかわかりません」フェリックスは微笑を浮かべた。いつも通りの彼だ。「ブラッドヘルム王女のことは確かにお前に一任した。ここまですべてをお前が調整し、進めた」ここまで言うと、国王はぎろりと息子を睨みつける。「一任と言っても独占とは違う。なぜ余に会わせようとしない?」
「おらよ。ちゃんと送り届けたからな」リザレリスの住居前に到着して馬車を降りると、レイナードは一応の礼儀として彼女を門前までエスコートした。それでも面白くない表情は隠していない。外は暗くなっていたが、うんざり感は明からさまだった。「あんだよ。感じわりーの」リザレリスは足を止めて文句をつける。「はいはいわかりましたよ王女さま」「完璧イケメン兄貴のフェリックスは最初から最後までほとんど完璧だったぞ。兄弟でこんなにも違うもんなんだな。おまえは見た目は良くても中身が最悪だ」リザレリスは当てつけがましく不満をぶつけた。当然わざとそう言ったのだが、その効果は予想以上にあり過ぎた。「ああそうだ、兄貴はいつだって完璧だよ」レイナードが吐き棄てるように言った。「俺と違ってな」リザレリスは次の言葉を飲み込む。なぜならレイナードの眼が冷たく座り、やけにシリアスなものになったからだ。なにか地雷を踏んでしまったのだろうか。「お、おい。な、なんだよ」リザレリスはおろおろとしてしまう。「べつに。なんでもねー」レイナードは軽く吐息をつくと、気を取り直したのか、先ほどまでの普通の不機嫌な表情に戻る。